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漂流(11) Jazz

一番大切なものは、決して手放してはいけないよ。
どんな形でも、自分の中で愛おしもう。
ただし、追いかけてはならない。
自分の中で、静かに愛でるのだ・・・


***

つかの間の休暇を終え、サンクト・ペテルブルクからN.Y.に戻り、
再び慌ただしい日々に身を置く。
報道の世界は大統領選の話題や中東の戦いなどで喧騒を増し、
オフィス内にも、政治の動きは時に仲間内で激論になることもあった。
しかし、基本的には、個々が感じる思想信条は、それぞれの皮膚の下に隠されている。
あの人はⅩ党寄りだ、あいつは熱烈なY党信者だと、日々接していればお互いに大よその考えは見えてくる。

サンクト・ペテルブルクに住んでいた頃は、普段、周囲で政治的議論を耳にすることは殆ど無かった。
しかし、一度議論が始まるとそれは激烈で夜が明けるのも珍しくないものだった。

N.Y.に来た当初は、自分の政治信条、考えをはっきりと口にする人達が少なからずいたことに驚いた。
100年前から大分変化したとはいえ、自分の考えを口にすることが命にかかわることだと感じているサンクト・ペテルブルクの人達と、皮膚感覚が違うのだろうか?

しかし、サンクト・ペテルブルクもN.Y.も、僕の故郷ではない。
僕は、どちらの選挙権も持っていないのだ。
それでも、どちらの街も、今の僕を形作るのに関係した街。

処分できないまま積まれていく廃棄物
快適に暮らすためのエネルギー獲得に奔走する現代人
止まることを恐れるルームランナーのように・・・

断片的な言葉が、浮かんでは消えるのは
この曲のせい?

マスターに聴いてみる。

「この曲は?誰が歌っているの?」
「"My ideal" Chet Bakerが歌ってる。」
「夜、一人で飲むのに合っているね。」
僕は微笑みながらマスターにつぶやいた。

飲みすぎると、髪がグラスの中に入ってしまうよ。
寝ては駄目だ・・・

マスターの声が
Chet Bakerと同じような気怠い声に聞こえて
僕は眠りを押さえることができなかった。

どこへ行っても、僕は異邦人なのだ・・・・

***

「で?
珍しく外で酔っ払ったって?」

アレクセイの詰問に僕は眉をしかめて反論する。
そうだよ、Jazzの中でも程よく緩やかで、程よく気怠いものが耳に入ったんだ。
酔ってしまうのは無理もないことだよ、と。

「ふーん。でも自分を異邦人だと、勝手に疎外感を味わうのは大人げないな。」

と言うアレクセイ。
僕は反論できず、黙りこむ。

「他の人との違いは誰でもあるさ。それぞれの孤独、疎外感を抱えて生きているのさ。」

それは僕も重々わかっている。

****

夜遅く仕事を終えたユリウスを迎えに
自宅近くのバーのドアを開けた。
一人内省するユリウスの回りを
籠った声と綿のような質感を持ったピアノが包んでいた。

十代の頃のユリウスと違い、今のユリウスは、
静かに大切なものを愛でるようになった。

俺は、彼女の成長を一人喜び、
「帰るぞ」と、眠りかけたユリウス揺り起こし、
マスターに挨拶をして、帰路についた。



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# by greenagain2 | 2012-12-02 23:29 | 漂流

愛しのおばあさま 1

「ユリウス」
毎朝、僕はおばあさまの呼ぶ声で目が覚める。

おばあさまの好きな紅茶を入れて、
おばあさま愛用のショールを おばあさまの肩にかけ、
おばあさまの傍らに 腰掛ける。

それが 毎朝の約束事。

「アレクセイは?」
毎朝、必ずおばあさまが口にする問いに 僕は答えねばならない。

「お仕事で帰れなかったんです。」
おお、と、顔を覆い嘆くおばあさまを慰めることも 僕がするべきこと。
「おばあさま、大丈夫。アレクセイは必ず帰ってきます。」

***

民衆の襲撃から間一髪、
おばあさまとオークネフ、おばあさま付の侍女数名と共に、僕はミハイロフ邸を後にした。
やがて、
暇を出され家に戻った侍女、白軍の一味となった侍女と、
1人、また一人と侍女が去り、
やがて、ミハイロフ家から全ての侍女が去った。
オークネフは、ミハイロフ家と自身の家庭維持に必要な諸事を行うため、
一室を僕達の家の近くに借り、その部屋から僕達の家に通っている。
つまり、
僕達の家-三階の一室に
おばあさまが転居したのだ。

ただ、十月革命後、
アレクセイはモスクワに仕事の拠点を移す前に、
人数も増えて手狭だろうと、引っ越しを考えた。
アレクセイにとってはモスクワに引っ越す方が仕事はしやすかったはずだ。
しかし、高齢のおばあさまを考慮して、
日露戦争終結から数年後に建てられた新興商人の家を買い求めた。
その商人は、ケレンスキーに加担、十月革命時に亡命した。

アレクセイと僕、僕達の子供、そしておばあさま。
4人で住む家だ。

妊娠した僕をミハイロフ邸のおばあさまに預けたことで、
ボリシェビキ内部からもアレクセイに対する激しい批判が巻き起こり、
アレクセイは、かなり危うい立場に追い込まれたそうだ。
「主義主張と相いれない行動もしなければならないこともある。大体の人間は矛盾に満ちた生き物さ。」
ズボフスキーはアレクセイを庇い、身重の僕を気遣ってくれた。

あの、三階の家に、
おばあさまは案外すんなりと馴染んだ。
移り住んだ当初は、「狭いわね」と さかんに口にしていた。
しかし、やがて おばあさまと僕は気づいた。
転居しておばあさまと僕との距離が近づいたことに。

「おばあさま、アレクセイやアレクセイのお兄さんのことを聞かせて下さい。」

僕のお願いに、おばあさまは、目を細めて語り始める。
おばあさまがにこやかに昔話を僕に語って聞かせる。
僕の傍らでは、僕が生んだ赤ん坊がスヤスヤと眠っている。

部屋の片隅で、僕達三人を、時折、オークネフが目を潤ませて見つめていた。


いつの間にか、僕はアレクセイよりも長い時をおばあさまと共に暮らすようになっていた。
街の名前がレニングラードに変わった頃、更に年を重ねたおばあさまは、
足腰が弱くなり、殆ど寝たきりの生活になっていた。

僕は、おばあさまが眠るベッドの傍らにある窓を開け、鳥を招き入れた。
そして、娘を腕に抱き、おばあさまの顔を覗き込んだ。

深い皺が多く刻まれた額、
固く閉じられた瞼の裏には、
幾多の苦難とかけがえのない思い出が映し出されているのだろう。
僕は、その映像を、おばあさまの言葉を通して観ることで、
アレクセイの不在を深く嘆かずに済んだ。




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# by greenagain2 | 2012-10-20 00:30 | 愛しのおばあさま

吹雪を耐え忍ぶ術

僕は長らく雪に悩まされた。

この国に来て初めての冬、
記憶を失ったことへの戸惑いに加え、
暴風と共にやってくる雪が
得体のしれない恐怖を僕に与えた。
恐怖、
それは骸骨、流血など
大抵の人間が目にしたら眉を潜ませるもの。
僕は、
恐怖の映像に怯え、
恐怖の映像が眼界に広がる理由が不明であることに怯えた。

二年目の冬から
雪への恐怖は増幅し、
ユスーポフ家の人々を煩わせることとなった。

しかし、
劇場で負傷した年を境に、
恐怖は若干押さえられた。
きっと、ユスーポフ家の当主が僕を守ってくれると、僕が確信したからだろう。

けれど、
ユスーポフ家の当主-レオニードは
僕を保護する動機と、恐らく「ほぼ」同じ理由で
僕に帰国するよう促した。

僕は与えられた馬車に乗り、サンクト・ペテルブルクを後にした。

しかし、
程無く、僕はウスチノフの別荘で軟禁状態に置かれた。

十数年後、
レオニードの部下で
後に白軍の一員に転じた者から聞いた。

「国境まで貴女の馬車に付き添う予定だった兵士は殺されました。
彼の遺体は、近くを通りがかった一軍が、彼の所属する兵舎に運び入れました。
そのため、貴女が行方不明になり、兵士が殺された事実は、
隊長・・・いえ、ユスーポフ侯爵様の耳に入ったはずです。」

僕は、ウスチノフの別荘から脱出した後、
ユスーポフ邸へ戻ろうとした。
今思えば、本当は戻ることは容易いことだった。
暗い森の中、動かずに長い夜を過ごし、
陽の光に導かれ、皇帝の姪を妻にめとる力を持つ大貴族の邸宅へ向かうことは、容易いことだったのだ。
けれど、
僕の記憶の中で、初めて、自らの意思で室内から外へ出た初めての夜、
森は暗く夜は長く、
混乱した僕は森を彷徨った。
そして、
レオニードが僕に帰国を促した思いに反する行動をとることはできないと思うに至り、
ユスーポフ邸へは戻らないと決意した。



”思い半ばに命の火を消した貴方
飢えて病に倒れ息絶えた貴方
皆 私は 忘れない
貴方の 燃える眼差しを
貴方の 熱い掌の感触を
私は 友に 
語り続けよう”



僕は歌い終わり、再び白軍兵士のテーブルに戻った。

「隊長が自決された以上、
貴方が今尚ドイツに戻っていない事実を、私は隊長に伝える必然性は無くなりました。」

僕も、白軍兵士に言った-心の中で。

(僕が記憶を取り戻したことも、殺人を犯したことも、君に言う必然性は無い)と。



僕は、グラスにスミノフを入れ、白軍兵士に勧めた。
彼は一気に飲み干し、「貴女に幸あらんことを」と言い、店を後にした。

彼が僕に、「神の御加護をあらんことを」と言わなかったのは、
僕がマルキストに転じているかもしれないと考えたからであろう。

僕は赤軍に加担するでもなく、白軍に加担するでもなく、
マルキストを信望するでもなく、神を信望するでもない。

もはや僕は、
生きている限り、傍観者にしかなれない身。
何故なら、
僕は 自らの意思で、人を殺しているのだから。


任務として殺人を犯す君とは違う。

血に染まる手を持つ者同士でも、
血に染まる契機と過程が異なる以上、
兵士と僕は
僕とレオニードは
同化できない。



僕は、歌を歌うことを生業としてから、
彼らと同化できないことに涙した。
そして、
雪への恐怖に、
ただ 歯を食いしばり耐えた。
雪が去るのを
ただ ただ 待った。

耐えながら
思い起こしていたのは
収容所の火災で死んでしまったクラウス・・・アレクセイ・ミハイロフ。


レニングラードよりもはるかに寒いシベリアの地で
彼もまた、歯を食いしばり耐えていたのだろう。
そう思うと、
僕は
クラウスーアレクセイが亡くなったことに涙した。

レオニードと同化できないことに涙し、
アレクセイが息絶えたことに涙することで
吹雪を耐えた。

死人へ涙することで生き長らえる
呪わしい存在である僕が
生き続ける道は
僕の歌を求める人の前で歌うことであった。



”僕は 傍観者として 
あなたたちの 生きざまを 見守ろう。

僕は 傍観者として 
あなたたちの 行く末を  見守ろう。”



こうして僕は、
吹雪を ひとりで 耐え忍ぶ術を
会得した。





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# by greenagain2 | 2012-10-01 00:17 | 声を聴かせて

角度を変えると(訂正追記)

以前アップしたものの訂正を、も少し詳しく記します。

写真左はピョートル一世(大帝)”青銅の騎士”像
角度を変えると(訂正追記)_a0082021_1651980.jpg
写真右は皇帝ニコライ一世像
角度を変えると(訂正追記)_a0082021_1655580.jpg















青銅の騎士像はイサク聖堂の方を向いていません。
皇帝ニコライ一世像は、イサク聖堂正面を向いています。


角度を変えると(訂正追記)_a0082021_214258.jpg



大変失礼いたしました。



角度を変えると(訂正追記)_a0082021_2142753.jpg


イサク聖堂正面です。



ユリちゃんは、間違えなかったことでしょう。



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# by greenagain2 | 2012-09-23 15:32 | 楽屋裏

葬列、そして

昔書いた「春夏秋冬」(右カテゴリ参照。推敲中につき現在非公開)の中で書いた
「葬列」(2008.5.12アップ)というお話、それを受けたお話を書きたくなりまして、
書いてみました。


☆☆☆☆


「葬列、そして」


父が不慮の死を遂げた。
葬列は寂しいものであった。
本来、モスクワ知事を務めた父の葬列は、長々としたものであったはずである。
しかし、今やロシア皇室を牛耳る程の勢力を獲得したラフプーチン一派の目を慮る者達が、葬列に加わらなかったのだ。

「暗殺」という尋常でない死に方をした父の葬儀に関する諸手続は、通常のものよりもはるかに多かった。

父の死から数日立ち、
弔問客の足も途絶える日が出始めた。
諸事を終え、周囲を見回すと既に真夜中。
ふと窓から外を見た。
強風に煽られた雪が窓をたたきつけている。

そうだ、あいつは どうしている?
こんな夜は尋常ではいられないだろう。

今年の秋、ユリウスは再び容態が急変した。
湖に落ちて以来、起き上がれない日の方が多い。
殆ど話せない状態も再発していた。
この所、葬儀の諸事に追われ、顔も見ていなかった。
そもそも、あいつは ユスーポフ家の人間ではない。だから葬列に加われない。
この数日、どう過ごしていたのか。

寝静まった邸内を、燭台を手に、ユリウスの部屋へ向かった。
扉を開ける。
暗闇の中、黒のドレスをまとった女の背中が目に入った。
腰までかかる金髪を、寝台の灯が照らす。
彼女は寝台にひざまずき、両手を組み、何かを祈っていた。

「・・・ユリウス?」
私の声に、びくりと肩を震わせた後、
ユリウスは声のする方向を探しながら 私の方に振り向いた。
眼からは、涙が流れ出ていた。
「その服は、・・・女中達が着せたのか」
ユリウスは、静かにうなづいた。
「葬式だから、と?この部屋から出るなと言われたのか?」
お前は身内ではないから、と?
ユリウスは 再びうなづいた。
顔面は蒼白だった。
このような吹雪の夜は、ユリウスの叫び声が必ず耳に入った。
しかし、この数日間、吹雪が続いていたのに、その声は聞こえなかった。

声を出すのをこらえていたのか。

茫然とする私に、
ユリウスは 森の奥を分け入ったかの如き藍の眼を私に向け、
流れ出る涙 そのままにして
私の右手を取り、自らの頬に当て、眼を閉じ、新たな涙を流した。

(泣いてくれるのか、我が父の死を)

お前を軟禁し、
お前から アレクセイとお前の記憶を奪った私のために
お前は 泣いてくれるのか

着慣れない喪のドレスは
彼女の細い腕を細かなレースで包み、
藍の眼を
灯の揺らめきで 時節 碧に変わる眼を
際立たせていた。

私は、彼女を促し、ベッドに寝かせた。
彼女は 声なくして泣き続けていた。


今度は 私から お前の手を とろう。
今宵は このまま眠るがよい。


*****


魔物と化した雪と突然消された命の嘆き
二つの声に囲まれて
僕は震えが止まらなかった
雪が窓をたたきつける音を耳にしたときには
未だ叫び声を上げることができた

レオニードのお父様が暗殺されたと聞いたときには
父の死を嘆いて刀を振るうレオニードを
無我夢中で止めることもできた

けれど
雪が絶えず窓を叩きつける部屋で一人、
葬儀を想うことは、声も出せず身体がこわばるだけだった

逃げ道がない…
僕は どうすればいい?
祈ることしかできない…

レオニードが僕の手を握り
僕に眠るように言った。
僕は震えながら、それでも いつしか眠りについていた…

*****

朝の日差しに満ちた室内で、
喪のドレスは、そぐわない色を放っていた。
波立っていた僕の心は、日の出と共に穏やかな波となっていた。
僕はドレスを脱ぎ、いつものシャツを羽織った。

自室を出て、歩き始めて左程立たないところで
レオニードと目が合った。
朝の挨拶を交わし、
お互いの凪いだ目を確認し合った。

陽光に救われて、今日一日、僕達は、きっと生きていけるだろう。


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# by greenagain2 | 2012-09-21 23:48 | 春夏秋冬