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愛しのおばあさま 3

陽光をくぐらせていた若葉が鮮やかな緑に変貌した頃、
爽やかな外気の元で、おばあさまは、僕に昔語りをしてくれた。

雪が幾日も続き、
白と黒以外の色を見出すことが難しかった頃も、
暖炉の元で、おばあさまは、僕に昔語りをしてくれた。

アレクセイが生まれる前のことも、
アレクセイが子供の頃のことも、
この国のことも、
おばあさまが若かった頃のことも、
何も知らない僕に
おばあさまは、繰り返し昔語りをしてくれた。

身重で身動きが出来ず
かつ、この邸を出ればボリシェビキを追う者達の標的になることを恐れた僕は
はやる気持ちを抑え、おばあさまの元に留まっていた。

階級の無い世界を目指すアレクセイ達の活動と、
アレクセイの生家が貴族であることの矛盾。
アレクセイはこの矛盾に気づいていたはずだ。
その上で、僕をおばあさまに託した。
アレクセイは、どんな思いで、僕をおばあさまに託したのだろう?
僕は自分自身が矛盾の上に存在していることに、眩暈を禁じえずにいた。
いや、もしかすると、アレクセイと出会う前から、
僕自身は、矛盾の中から生まれた存在だったのでは?
そのような疑いも、胸の奥底から湧き上がる。

外の動乱から隔絶された室内で
僕は、おばあさまと緩やかな時を共有した。

***

「おばあさまが、眼を覚まさないの」
僕の声にうながされ、アレクセイが おばあさまの顔を覗き込む。

おばあさまは眼をつむり、古い窓からの木漏れ日を頬に受けている。

「お屋敷にいた頃は、よくお話してくれたんだけどね」
僕が、ぽつりぽつりと邸にいた頃のおばあさまのことを話すと、
アレクセイは「そうか」と、
僕の話を、時に聞き流し、時に真剣に聞く。

おばあさまが僕の髪をよく撫ぜてくれたお礼に
おばあさまの髪を僕が結おうとして、上手くいかなかったこと、

僕が邸から抜け出そうと、柵を乗り越えようとして使用人達に取り押さえられた時、
おばあさまが烈火のごとく僕を諌め、物置に押し込めるという言葉を言いかけて止めて、
僕が「ごめんなさい」と言ったらおばあさまが泣き出して、なかなか泣き止まず、
僕ももらい泣きをしてしまったこと、

それから、それから…

「おばあさまとの思い出が、一杯あるんだな?」
そうだよ、アレクセイ。
僕も、君も、おばあさまとの思い出を抱えきれない程持っている。
一日の殆どを眠って暮らすようになったおばあさまから、
様々な思い出と言葉が甦る。

僕とアレクセイは、死出の旅に行くおばあさまを
静かに見守った。
10月革命前夜、おばあさまが僕達の家に移り住んで数年、
慣れない生活に心労も重なっただろう。
気の利かない僕に悩まされることも多々あっただろう。
ごめんなさい、おばあさま。
僕は、おばあさまに何もしてあげられなかった。

眠ったままのおばあさまに、謝罪の言葉はもう届かない。

それならば、と、
アレクセイが僕の思いを読み取ったかどうかはわからない。

アレクセイは、
ただ静かにおばあさまの右手を両手で握り、
冷たい手を暖めようと何度も撫ぜ始めた。
僕も、アレクセイに倣っておばあさまの左手を両手に取り、何度も撫ぜた。

おばあさまに、伝わるかどうかわからないけれど、
おばあさまの手を撫ぜることで、謝罪と感謝を伝え続けた。
ごめんなさい、そして、ありがとうございました、と。
死後の世界があるかどうか、僕にはわからないけれど、
もしもあるのならば、
おばあさまが心穏やかに暮らせるよう、僕は祈り続けますと、
心の中で、おばあさまに呼びかけた。




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by greenagain2 | 2013-06-23 00:40 | 愛しのおばあさま
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